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大阪家庭裁判所 昭和63年(少)2081号 決定

少年 D・H(昭47.9.8生)

主文

少年を初等少年院に送致する。

理由

(犯行に至る経緯)

少年及びA(昭和48年2月24日生)は、いずれも大阪市立○○中学校3年生として在学していたものであり、B(昭和47年3月15日生)も同中学校の一学年上の先輩で昭和62年3月同校を卒業したものであるが、少年及びAは、小学校4年生のころから少年野球クラブに参加し、少年らの父も同クラブのコーチなどをしていたため、家族ぐるみで交際するようになり、少年らは仲の良い友達として行動を共にしていた。

少年は、昭和60年4月○○中学校に入学し、同校の野球部に入部したところ、同部には一年先輩にBがおり、Aともども当初は練習後のカバン持ちをさせられたりしていたが、しだいに野球部の練習以外でも風呂につきあわされたり、休日に一緒に遊ぶよう命令されたりし、これを断ると暴力を振われたりした。Bが中学校を卒業してからも関係が切れるどころか、かえつて密となり、A及びBと同級であるCとともにこまごまとした身の回りの世話などをさせられるようになり、特に昭和62年10月ころBが一人でアパートを借りるようになつてからは、毎日のように遊びに来るよう命令された。

昭和62年12月26日もBの命令で同人の親が居住するマンシヨンにC及びAと泊ることとなつた。そしてトランプのカブでBが親をし、少年らは子としてカードに金銭を賭ける方法により博打をすることになつたが、Bが自己の手の内を見せずに一方的に勝利を宣言するため常に少年らの負けとなり、途中から小使銭でなく、口で賭けることになつたこともあつて、賭ける金額が多くなり結局少年は約30万円、Aは約4万円、Cは約2万円の負けとなつた。少年はBから月末までに10万円支払うよう求められ、家金を7万円無断で持ち出すなどして工面し、支払つたものの、昭和63年1月4日、Bに呼び出され、再びカブをし総額で約100万円負けたが、結局46万円を毎月2万5000円ずつ支払うことになつた。C、Aもそれぞれ100万円、5万円支払うことになつた。

このように少年は偽博打により多額の金銭の支払いをBに負担することとなり、1月には支払つたものの、2月には支払う目途もたたないにもかかわらずBから執拗に要求され、このままではBに一生従わなければならないと考えており、又、Aも前記金銭の支払はもとよりこれまでBに呼びだされては小間使いのように身のまわりの世話をさせられており、特に2月に入つてからは連日のごとく呼びだされて自由を束縛されており忍耐も限界となつていたところ、同年2月中旬ころ、Bの居住するアパートに呼びだされた際、同人から強く金員の支払を催促され、帰途Aと話すうちAと共にBを殺害するしか方法はないとの考えに至つた。

その後、同月21日少年宅でBを○川提防に呼び出した上金属バツトで殺害しようと謀議し、同月22日友人から金属バツトを借りるなどして準備を整え、Bを呼び出したが、同人がCとともに現われたため当日の実行は断念した。しかしながらその後もBから月末までに前記金員を支払うよう催促され、同月27日ころ、月末までにBを絞殺しようということになり同月29日朝Bのアパートを訪れたが同人が留守のため断念した。

(罪となるべき事実)

少年及びAは、昭和63年2月29日、夕食後いつもどおり、連れだつてBが居住する大阪市福島区○○×丁目×番××号○○荘×階×号室に向かつたが、その際、少年は所持していたネクタイでBの首を締め、AはB宅にあるナイフで刺して同人を殺害しようと話し合い、同日午後6時40分ころA、ついで少年の順でB宅を訪れた。当初はCがいたがしばらくして帰宅したため、少年においてBの許諾を得て壁にかけてあつたナイフ(ガーバーサバイバルマークII、刃体の長さ17.3センチメートル昭和63年押第205号の1)を手に取りAに手渡し「フアミコン」をしていたBの隙を窺い同日午後7時ころ、同室奥6畳の間において少年が所携のネクタイ(同押号の12)でBの首を締め、Aが前記ナイフでBの胸腹部、背部、大腿部等の全身十数か所を突き刺し、即時同所において、同人を胸部刺創による右肺及び右心房、刺創、右胸腔内出血により出血失血死させもつて、殺害したものである。

(適用法条)

刑法199条、60条

(処遇の理由)

本件非行は当時中学3年生であつた少年が同級生である他の少年とともに、野球部の一年上の先輩であつた被害者から身のまわりの世話などあれこれ命令され、さらに偽博打の負け金を支払うよう執拗に催促されたことからこのままでは一生被害者から支配される状態が続くものと考え、同一立場にあつた共犯少年と語りあつて被害者を殺害したもので、前途ある被害者からそのかけがえのない生命を奪つた点においてその責任は重大である。

しかも本件は、犯行に至る経緯からも明らかなように機会的偶発的な犯行でなく、10日位前から共犯少年と共に殺害計画について話しあい、2回にわたつて金属バツト、又は、ネクタイを用意するなどして殺害計画を実行に移しているものであり、犯行後も兇器のナイフを少年ら同様に偽博打で負け、被害者から金銭の支払いを要求されていた少年に処分を依頼し、又、他の同級生にアリバイ工作を頼むなどしており、その犯情は悪質といわざるを得ない。そして、共犯少年との責任の軽重であるが、前記のとおり、少年は金銭的負担に重きをおき、共犯少年は自由の束縛に重きをおくといつた点で動機が多少異なるが、共謀の経過、実行に至る経緯、実行行為いずれをとつても軽重は認められずその責任は同等というべきである。次に少年が本件非行に至つた要因について考察するに、まず、被害者による少年らに対する暴力的支配関係をあげることができる。すなわち、犯行に至る経緯に記載のとおり、被害者と少年らとの関係は当初野球部の先輩、後輩の関係であつたものが、しだいに暴力的色彩を強め、被害者が高校受験に失敗し、仕事にも就かなくなつてからは、特に少年らに依存するようになり昭和62年4月ころから同年7月ころまで少年らに命令して女生徒に「いたずら電話」をかけさせたり、理由もわからず同級生に暴力を振わせたり「カイザー」を売却する名目で下級生から金を集めさせたり、下級生から強制的に金を集めさせるなどしていたものである。そしてこのころまでは、命令に従わなかつたり、又、ささいなことなどで、暴力を振われたこともあつたが、概ね被害者の攻撃は少年ら以外に向けられていたところ、同年12月末ころからは毎日のごとく被害者につきあわされ、身のまわりの世話をさせられ、又、被害者から一方的に負けを宣告され、多額の返済金を催促されるなど暴力的な支配が直接少年らに及び、耐えがたいものになつていつた。しかしながら、これまで逆らえば暴力を振われたり、逆らう者には家に放火してやるなどと脅されていたため、被害者の仕返しを恐れ少年らは両親や学校の先生などに相談できなかつた。そして、少年自身の適応様式は些細な困難にも当惑が大きく、過剰に動揺し、理性的な状況理解を維持できず、非常に原始的な反応をしたり、判断の幅が狭くなりやすいため結局視野狭さく状態に陥いつてしまつたものであり、これまでの被害者との関係から暴力に対しては肯定的な感情を持つており、生命の尊厳に対し、軽視する傾向にあつたこともあいまつて被害者を殺害するしか方法はないと考えるに至つたものである。そして、共犯少年とも考えが一致したことから、殺人が実行可能なものとしてクローズアツプされたものである。

そこで、少年の処遇であるが、本件非行には上記のとおり被害者の少年らに対する非人間的な暴力的支配が多大の影響を与えており、その意味では少年らに同情すべき点はあり、又、少年の家庭は両親とも健在で、家庭不和もなく、正業に就き何ら問題の無い家庭であつて、少年を今後とも監護していく意向であり、少年自身も若干年令に比し、ものの感じ方が主観的で些細な問題に当面しても、過度に自分に関係づけて動揺する傾向はあるものの著しい性格の偏りはなく、本件についても反省を深めつつあるが、前記のとおり本件非行自体重大でかつ態様も悪質で社会的非難の程度も決して軽くはなく、それに比して少年の内省は決して十分ということができず又、暴力を肯定的にとらえる資質上の問題点も窺え、少年に反省を尽くさせ、又、資質上の問題点を矯正させるためには施設の中で教育を施させるのが相当であると思料する。

よつて少年を初等少年院に送致することとし、少年法24条1項3号、少年審判規則37条1項を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 卯木誠)

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